命名士について
【 私が「命名士」を名乗れる理由 】
私の名前『 高橋 呂侑(タカハシ リョウ) 』には、
「高橋:天の高次元から(高)、現界の私達への橋渡し(橋)役割の暗示」
「呂侑:口から口へ繋ぎ(呂)、口コミで人を助けゆく(侑)役割の暗示」の使命を授かっている事が大明示されています。
(※ 姓と名の兼合い、生業との想念如何によって読み取り方は異なります。)
従って、常日頃の私の基礎的な行動指針としましては…
- 朝一番の、正しい『 神仏 』への礼拝( らいはい )を欠かさない。
- “ 誠 ” が鍵である事を認識自覚している。
- 宿命は決まったもので変えられないという事と、運命は人間次第でどうにでもなるという事を掴んでいる。
即ちこの極めて重要な基本三原則をもって、神仏からの “光輪字観” による命名資格のお赦しを頂いている次第なのです。
つまり、“ 命名士 ” とは…
一定の資格・役割を持った、「名前に命(いのち)を吹き込むという、その任務を司る身分者」の事です。
“ 士 ” が付くものには、一般に言われている士業は勿論の事、消防士・学士・紳士…等、全て意義・意味があるのです。
名前も文字も数字も全て、天から用意されたもの。
所謂、私の役割というものは、私どもに命名依頼をされたご依頼主様と神仏との間を繋ぐ、言わば…道具(ツール)的存在に他ならないとも言える訳です。
最も重要な・・・『 神(カミ)と佛(ホトケ) 』の文字の意味についてお伝えしておきましょう。( 本来の漢字、解釈 )
まず、『 神(カミ) 』の文字は、
示偏(しめすへん)に申(さる)と書いてありますが、
これはサルではありません。
田の字の真ん中の経(たて)の棒が上と下へ抜けているのです。
田の字とは、
◯(まる)に十(じゅう)から起こったもので、
◯(まる)に十(じゅう)とは、◯(まる)は地球であり大地です。
十(じゅう)の字は、経(たて)と緯(よこ)の棒の結んだ形です。
経(たて)は火(ひ)で緯(よこ)は水(みず)で、
火(ひ)と水(みず)は、火(カ)と水(ミ)であるからカミなのです。
大地は神(カミ)が主宰し給い、神(カミ)の世界です。
神(カミ)は無始無終ですから、上下の棒が象徴しています。
勿論その意味を人類に示さなくてはなりません。
それが示偏(しめすへん)なのです。
次に、『 佛(ホトケ) 』の字は、
人偏(にんべん)だから人間の向上したものが佛(ホトケ)です。
つくりの弗(ふつ)はフツまたはドルと読みますがそれとは関係ありません。
弓(ゆみ)の字を二本の経棒(たてぼう)が貫いています。
元来弓(ゆみ)の字は月の意味で、
弓(ゆみ)の形は半月で俗に言う弓張月(ゆみはりづき)です。
佛教(ぶっきょう)は真如の教え即ち月の教えです。
それへ経(たて)の二本の棒は十の字がトケた形。
◎ 佛(ホトケ)の言霊(ことたま)はホドケで、
神(カミ)は結(むす)びである。・・・ことの、所以なのです。