命名の匠ブログ
全ての事柄に言える事と同じように、命名の基本を間違えてはいけません
【順序を正しくする事が名付けの基本】
これは、名づけに限らずあらゆる事象に関しても言えることですが、順序の大切さは如何なる事に於いても当てはまることなのです。そうしてこの順序をたった一字で表した漢字があります。それは…「主」の字です。今この「主」の字を解剖してみましょう。上中下の横棒3本は天地人をを現わしています。上から言うと、 日・月・地、 五・六・七、 神・幽・現という意味です。その、“ 上中下 ” の横棒3本の真ん中の横棒を経(たて)の棒が貫き、一番上にヽ(チョン)が乗っています。これが正しい順序です。私がいつも言っているように、命名は「想念(そうねん)・言霊(ことたま)・画数(かくすう)」という風に順序通りに正しく形成されていくべきものなのです。様々な事柄についても同様な事が言えます。つまり本来なら政治でも経済でも教育、哲学思想等、何でも一切万事この形でゆかなければうまくゆくはずがないのです。国内国外問わず、これまで今のこの世の中が混沌としている理由は、この「主」という文字の順番通りになっていないからなのです。命名的観点から鑑みても、全てが順序通り組み立てられていくようになるはずべきなのになっていないのです。過去と現在と未来とが本当に自然の摂理通り半永久的に繋がる持続可能である事。そうですキーワードは、「サステイナビリティー(sustainability)です。国連環境開発世界委員会(ブルントラント委員会)が1987年に提唱した『持続可能な開発(sustainable development)』にも相通ずる問題でもあります。この提唱は、環境や資源を保全し、現在と将来の世代の必要をともに満たすような開発の事です。そのものの本質が維持出来て進化進歩向上に繋がっていく持続可能なものであるかが問われてくる時代に突入していることを顕しているのです。
【ある程度、霊界の事を知らないと姓名判断は出来ない】
私がいつもお伝えしようとしている事になりますが命名するにあたっては、画数だけの判断では片手落ちになると言っているのはこういう事なのです。つまりこれまでの医学医療のやり方と同様の対症療法では、何らの意味も無い!という結論になるのです。それは今までの病気治しは、病気という症状を如何にしてその症状が出ないようにするかという事に専念しそこに重点を置いてやってきました。ところが近年病気は減るどころか、むしろ増えてきているのが現状です。こんな理屈に合わない話はないのです。それは、根幹の原因となる急所を改善する事をやってきていなかったからなのです。名づけの場合も改名の場合も全く同様で、根幹の部分を先ずは整える必要があるのです。原因があるから結果があるというのは不変の真理です。原因の部分に着眼して解決策を探る事が大事であるのは火を見るよりも明らかな事実です。私が名付け・改名等の命名依頼を頂いた時、まず最初に目に見えない重要な部分に着目し全身全霊を注ぎ込むのは、このことに他ならないからなのです。「名は体を表す」というのは、名と実体とはうまく合っている事を言い顕していると同時に、名はその実体がどのような物かを示す表現です。ここで、“ 名 ” と “ 体 ” をもっと詳しく説明してみますが…名前は、目に見えない想念(そうねん)から言霊(ことたま)に、そして言霊(ことたま)から目に見える文字(もじ)として、生きている我々現象界に顕れます。この三段階を経ていくのが道筋です。今度は肉体のことをお伝えします。肉体には同じ形態で精霊が存在します。精霊の中に心が存在します。そしてその心の中に魂というものが存在します。順番は魂が心に反映し、心が精霊に反映します。と同時に肉体が動き出すのです。名前の誕生と同じように三段階を経るのです。命名という作業に必要な事そして順番が、以上で大体分かったのではないかと思います。
【人は誰でも更なる幸せを望み、その一つの扉の一貫に命名がある】
世の中には、更なる幸せを求める人が多数おられるのではないかと思います。それは人として当然な事ではないでしょうか。例えば自分自身の現状の認識や未来の事柄等を知っておきたいと思う心が、習性かのように湧き出てきて、特に人は困難な出来事に遭遇した場合や、苦しみに耐えられない時等はどうしても心の拠の一つにお神籤や易教・八卦や西洋東洋問わず様々な占術をもって、自身にある頼る氣持ちを委ねる手段の一つとして、活用したりするのではないかと思われます。そしてその想いが人一番強く出てしまうのがやはり女性ではないかと思います。だけどただ…名付けの場合は、姓名判断によってその判断から、“ 命名 ” という決断に至ることになる訳ですから、単に占いという枠に留まるという事ではありません。でも通過点として命名依頼された方の星廻り等を鑑み、参考の為に使う必要性は多々あります。中国の易学や西洋諸国においても古くから星占いの頗る盛んな時代があって、僧侶がそれを行ない人間の吉凶禍福、病氣判断等に利用したりして一世を風靡したという事が史実にあります。星にも木火土金水の巨星を始め、大中小無数の星がありますが、これらもことごとく地球人類に反映していますし、その巨星五星はその時代に世界的人物が5人いるという訳になるのです。人間を星になぞらえ著名な人物に対し「巨星往来」とか「巨星墜つ」とかいう事も、大変面白い話ですよね。そういう点で言いますと…命名という行為自体は、占術とは一線を画する存在になりますが・・・『 運命を切り開く!!! 』という意味におきましては、力強い存在である事は言うまでもありません。但し…それは、喜びと感謝と希望が凝縮された力を持つ正しい名づけの場合でなければ成就されません。本当に力を持った正しい『 命名 』は、大難を小難、小難を無難に。と変え得る、力ある存在となるのです。
【良かれと思い、やった…「名づけ」・・・。】
「後悔先に立たず」という諺があります。これは、事が終わった後で悔いても、取り返しがつかない。の意味です。ですが、名付けにおいては、もう済んだ事だからしょうがない…で済ませられる話ではありませんよね。良きにせよ悪しきにせよ、名付けの結果は人それぞれ個人差及び時間差があって、一概に一言では言えません。が、しかし命名の専門家からすると、危ういものはほぼ確実に読み取ることができます。けれども中々それを伝えるのは難しいものがあります。余程親しくしている人だったとしても「その名前は…改名したほうが良い」とは、そう簡単に伝えられるものでもありません。本人にその氣がない場合は殆ど不可能と言ってもいいくらいのものです。それでも中には非常に素直な人がおられるのも事実です。ですので私の助言通りに素直に実行に移した人、そのような人は後ろを振り返ってみるとあれよあれよという間にすべてが順調に進み失敗がないのです。命名というものは本当に奥が深いのです。犯罪や事故を起こしたり、巻き込まれたりする人の大半の多くは名前に問題があるケースが少なからずあることは日常のニュースからも推測することが出来ます。とにかく名前・名称の重要性を一般の方にも、もっともっと正しく認識して頂いたほうが良いと私は常々思っている次第です。自分の人生は大人になってからでも自身の意志次第でアレンジも軌道修正もそんなに難しくなく出来ますので、危機に直面してからでも遅くはない場合もあるのでしょうが…赤ちゃんの名前の場合に至っては人生のスタートの名づけですので、渾身の愛情と知恵・力を振り絞る必要があります。血が通ってない命名は、血が通ってない人生を送ってしまいます。そういう事ですから、私が安易にインターネットの無料名付けサイトの情報に頼らないほうがいいですよと、常日頃から声を大にして言う意味を理解して頂けるのではないでしょうか。
【命名に限らず…誰もが、“ 真理 ” を求めています】
前々項に書いたように、本当に力を持った正しい『 命名 』は、大難を小難、小難を無難に。と変え得る、力ある存在となるであろうとの記述は、最早「予防命名」と言っても過言ではないのかもしれません。人間が病氣をするのは、何処かに間違った点があるからに他ありません。それは、本来の真理に外れた点があるからだと思います。ですので…AIの進化発展で病氣が完治するような事は毛頭ないでしょう。病というものは、肉体的な疾患だけではなく精神的病患も含まれています。そうして『幸せ』の定義というものは人それぞれでしょうが、基本はこの三つが整った状態を言うのではないかと思います。それは「健康・富裕・和平」です。正しい名づけは、それを全うする要素があります。人が、宗教や占いや精神的な学問等で解決策を求めるのもやはり心の底に真理を求めてやまないという心理状態からであるのは否めない事実でしょう。宗教は読んで字の如く宗祖の教えです。その教え自体があまりにも真理に遠ざかっていたから今日のような社会を生んでしまったと考えざるを得ません。東から太陽が出て西に沈むということや人間は生まれれば必ず死ぬということ。これは全くの真理です。日常の出来事にもし真理に外れた点があるようだったら、それを是正していけば良いのは分かりきった話なのです。物事には正しい順番があるという事は、名付けにおいても言えることだと私は再三申し上げている通りです。科学の進歩によって文化が発展してきたのは事実ですが、なのに人間の幸せがそれに伴わないのはどうした訳でしょう。それは形而下の進歩だけで形而上の進歩が出遅れていたからだと思います。文化の進歩とは形而上も形而下も歩調を揃えていくところに真の価値があるのではないでしょうか。命名でいうところの霊体一致した、しかも霊が主で体が従という順序礼節を弁えた上での名付けというものが大変重要になってくるのです。
【 当方での「 良い “ 名前 ”」の定義 】
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『 命名の匠 』から導かれた、
「 寿・言祝 ( ことほぎ )の “ 名前 ” 」ならばご本人は勿論、
周りの方々にも幸せの光が放たれることでしょう。
これは、どのネーミングにも共通して言えることです。
◎参考詳細:名付けに際し『開運盛名』をお探しの方へ
→ http://www.meimeishi.jp/contents/meimeishi/#entry-27
名付け、改名、店名、商品名、ビジネス名等々の命名依頼は…
命名の匠 命名士 高橋 呂侑
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命名の際に「言霊(ことたま)」がカギを握るという話
【言霊の名付けの音韻は、“ ことたま ” であって「言玉(ことだま)」では、ありません】
名前の構成は「想念・言霊・文字」の三つから成り立っている事は、いつも私が申し上げている通りです。そこで、名付けに於いて字画数よりも更に重要な鍵を握っている、言霊(ことたま)の事をほんの少しお伝えしようと思います。言葉は「言の葉」です。言(こと)の葉(は)には一つ一つ、“ 霊(たましい) ” が宿っているのです。それを「言霊(ことたま)」と言います。ですので、言葉には古代からその霊力が働いていて、その “言の葉” 通りの事象がもたらされると、信じられているのです。その事を知っている人と知らない人がいるのも事実でしょうが・・・。そして、これは知っている人も多いと思いますが「言霊(ことたま)のたすくる国ぞ」や、我国日本のことを指し示し言霊(ことたま)の霊妙な働きによって幸福をもたらす国だという事を表している「言霊(ことたま)の幸ふ国(さきはうくに)と語りつぎ言ひつがひけり」と、言霊(ことたま)のもたらす力の事が何れも万葉集に書き記されています。言霊(ことたま)がカギを握るという意味が少しは理解して頂けるのではないかと思います。でも、言葉の美しいことを玉にたとえていう意味に使われる「言葉の玉」という語があります。とっても素敵な表現ではないかと思います。
ただ… 人々がその言葉を耳で聞いていくうちに、「言霊(ことたま)」のことを「言玉(ことだま)」という具合に唯物的に捉えられていったと推測される可能性があるのも否み得ません。これは私の経験上でも言えます。「言霊(ことたま)」を「言玉(ことだま)」と捉え思っている人のなんと多い事かと…。
これは今まで私が異業種交流会等で出会った方々との会話の反応で確信出来ました。
「毛玉(けだま)」の、“ 玉 ”と同じような感覚で捉えているんですよねぇ・・・。
【霊界の事を知っているか否か!?…で、決まるのが命名です。】
この地球上における実世界は空間と物質との存在です。物質は人間の五感によってその存在を知り得ることができます。然るに文化の進歩によって、人は空間は無ではなく空気なる半物質、という存在があることを知りました。ところが更に、その空気だけと思っていた空間に今一つ他の元素、霊気という非物質の存在がある事を認識せざるを得なくなってきたのも事実です。名付けに於いて、そうしたその霊気が存在する霊界の事を、深く深く知る必要はないのでしょうが…ある程度は理解が出来ていないと、命名は務まりません。しかも最も大事な要点部分の把握は必要不可欠です。名前というものは、その名づけに至るまでの本来の筋道というものがあります。そしてものには、道理があります。名前の成り立ちは「想念(そうねん)→言霊(ことたま)→文字(もじ)」で構成されていきます。つまり…目に見えない想念界から言霊界に移写され、言霊界から目に見える現象界へと移写され、やっと私たちが眼にする「名称」として誕生するのです。言葉の霊界を知っておく必要があるのです。この道理に外れない名付けが大切なのです。更に日本語の47種の音節を5字10行にまとめた五十音の各々それぞれに、“ 言霊(ことたま)の働き ” があるのです。もう一つ念のためにお伝えしておきますが、東洋と西洋は霊界の構成が異なっています。東洋の霊界は大体立体的で、特に日本の霊界は最も立体的であり、西洋の霊界は大体平面的なのです。ついでに申し上げれば… 日本の社会が特に階級的段階が多い事もそれがためであり、西洋が非階級的で平等なのもそれがためなのです。ですので、命名・名づけの際に充分考慮が必要なのは、日本語やローマ字やカタカナ英語や造語の場合等に限られてくるのがお分かりになる事でしょう。
【名づけに於ける重要度の順番は、言霊(ことたま)・字義(じぎ)そして画数(かくすう)】
万有一切は、「霊(れい)と体(たい)」とで成り立っている事は再三お伝えしてきました。
命名の場合も同様で、想念(そうねん)と言霊(ことたま)の部分が霊(れい)で、文字の画数の部分が体(たい)に当たるのです。しかも、万有すべて霊(れい)が主(しゅ)で体(たい)が従(じゅう)なのです。名前に関しても例外ではないのです。勿論、霊(れい)・体(たい)両輪が大切なのは言うまでもありません。前項に言霊(ことたま)にそれぞれ働きがある事をお伝えしましたが、ア行の働き・カ行の働き・サ行の働き・タ行の働き・ナ行の働き・ハ行の働き・マ行の働き・ヤ行の働き・ラ行の働き・ワ行の働きが各々異なっているのです。そしてそれは、かなり奥深いものがありますので素人考えでは危険を伴いがちになる可能性が非常に高くなります。更に言いますと・・・悪者が言霊(ことたま)の事を完全に把握してしまうと、悪用すると大変なことになってしまうので、神様はそう簡単に分かるようにはしておられないのです。ですので…私の場合でも、言霊(ことたま)の事を知る権利が、どうにか許されているといったところなのです。でも、私のこのブログを読んで頂いている方の中には、ちょっとは知りたいと思っている方がおられると思いますので、ほんの少しだけお伝えしましょう。サ行は・・・天狗力。ラ行は・・・龍神力です。なので…姓名にサ行が多く入っていればいるほど、その人は、“ 我 ” が強く出過ぎてしまうのです。やたら、問題を起こしがちになってしまうのです。勿論、姓と名の兼ね合いの面や、どの位置にあるのか?とか、他の言霊(ことたま)との配合バランス等、あらゆる角度から鑑みた判断が必要となってきます。ただ、それと…逆に論戦に勝つ必要がある職業に携わっている場合等の人には、そのほうが良いという点もあったりしますので、その環境・状況・必要性を充分考慮しなくてはいけません。やはり・・・ここで、信頼おける名付け専門家の力が必要となってくるのです。
【ラ行はサ行と同じくらいの配慮を持って命名する必要がある】
前項でお伝えしていた部分が、少し中途半端な所で終わったような感がありましたので、その続きから述べたいと思います。命名に際してのサ行は、天狗の力が働くので特に注意が必要だという事。そうして…ラ行の事をもう少しだけ詳しくお伝えしようと思います。言霊(ことたま)というものは、本当に強い働きと作用がありますし非常にデリケートな一面もあるのです。では、ラ行が龍神の働きだと申しましたが、これは事実です。しかも、霊界においては目に見えない天狗にも天狗界というものが実在しています。そのように龍神にも目に見えていない龍神界というものが存在しているのです。目に見えない霊界の世界から強力な力を発揮しています。ですから名づけを行う場合、このラ行もやはり慎重な吟味が必要となるのは言うまでもありません。影響を与える力が強いからです。
また龍には種類がすこぶる多いのです。主なるものを挙げてみますが・・・
天龍、金龍、銀龍、蛟龍、白龍、地龍、山龍、海龍、水龍、火龍、赤龍、黄龍、青龍、黒龍、木龍等々です。
因みに・・・観世音菩薩の守護神は金龍です。
浅草の観音様を金龍山浅草寺という名称なのもそのためなのです。また白龍は弁財天とも言います。赤龍は聖書の中にある「サタンは赤い辰なり」という文言で表されています。大地構成の初めから現実に存在していた龍神が、体(たい)を失ったのちにその霊(れい)が天文現象即ち風雨雷霆等やその他人間社会のあらゆる部面に今もなお活動し続けているのです。
ですので、ラ行は龍神の力が働くので名付けの場合、余程の理解があって使用しなければならないという事になるのです。命名という行為そのものが単なる素人が簡単に出来るものではないという訳が少しはご理解頂けたのではないでしょうか・・・。
【霊体一致した、三位一体の判断で名付けを行う事が大事】
丈夫に育つ農作物に関して同様に言えることは・・・「日当たりを良くし、水分を豊富にし、土をより清くする事」。これに尽きると思います。およそ世界にある森羅万象あらゆるものの生成化育を見れば分かるごとく、大自然の力、即ち太陽・月球・地球というように火・水・土の三元素の力によらぬものは一つもないのです。つまり日と月と地。日は火素の根源であり、月は水素の根源であり、地は土素の根源なのです。そもそも全ての事象が宇宙の成り立ち通りになっているのです。それはあらゆる面においても言えることなのです。まさしく、命名に於けるそのものさえも、言霊(ことたま)を捉える部分に関しても、同じ事が言えます。火素と水素と土素の融合調和が大切なのです。名付けには、言霊(ことたま)・字義(じぎ)・画数(かくすう)の霊体一致の三位一体的観点から鑑みた判断というものが必要となってくるのです。言霊(ことたま)については、少しお伝えしましたが、「字義(じぎ)」(文字の意味)に関しては、常識に照らし合わせての判断が重要です。「画数(かくすう)」に関しては、正に統計学の分野に入ると思いますので、様々な姓名判断等の書籍に照らし合わせて判断されるのが良いのではないかと思います。ただ…流派によっては、全く逆の捉え方をしてる場合があるので、その見極めが素人の方には難しいかも知れません。私共に正式な命名依頼をされた方のご質問には、正確且つ懇切丁寧に対応させて頂いております。字義について、最も重要な『 神(カミ)と佛(ホトケ) 』の文字の意味を本サイト途中に記述していますのでご参照下さい。→ http://www.meimeishi.jp/contents/2016/02/post-4.php
名づけの場合、特に赤ちゃんの名前、子供の名前を命名するに至っては、霊界の事を正しく理解出来ていることが必須の条件となります。
【 当方での「 良い “ 名前 ”」の定義 】
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これは、どのネーミングにも共通して言えることです。
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何故、キラキラネーム・DQNネーム(どきゅんねーむ)の命名は不当なのか
【キラキラしてるネームの名づけが悪いという訳ではない!】
キラキラネームに対しての認識や捉え方は、人それぞれではないかと思います。
また、DQNネーム(どきゅんねーむ)という表現の名前も存在しています。
先ずは…
「えっ・・・!?」と、ビックリ!!された方もいらっしゃるのではないかと思いますので、
今回のサブタイトル「キラキラしてるネームの名づけが悪いという訳ではない!」
というこのサブタイトルの意味をお伝えしておきたいと思います。
その前に、生まれてきた赤ちゃんにキラキラネームを命名した人達の動機を考えてみたいと思います。
それはきっと…名前というものの重要性を強く感じておられずに付けてしまったり、
実はお子様に「こうなって欲しい」という想いから名付けた場合も少なからずあるのではないかと思います。
ただ・・・
今の世の中、命名した人が親御さんだけに限らない場合もあるのでしょうが、名付け側の好みに合わせた、
非常に自分本位で身勝手気儘な「何を考えてこんな名前を付けたのだろう…?!」と思わざるを得ないような目に余る命名が、
蔓延してきているという事実があるということも否み得ません。
常識と非常識の基準認識がグダグダになってしまってる現代にも責任があるのでしょう。
とにかく、子どもの名前に対しての常識を逸脱してるような名づけをするのは言語道断です。
参照:https://ja.uncyclopedia.info/wiki/DQN%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%A0
【サブタイトルで言う名付けが意味しているもの】
では・・・
「キラキラしてるネームの名づけが悪いという訳ではない!」とは、どういう意味かと言いますと…
見た目がキラキラしている名前が付けられている赤ちゃん・子供・少年・青年等が実際存在して居ます。
雅号や芸名やビジネス・ネーム等以外の普通世間一般の人名は、「姓と名」で成り立っています。
ですので、姓との兼合いを鑑みた上で問題が無い場合があるという事です。
こういう場合は、その名付けは「キラキラネーム」という枠には入りません。一概に決め付けられない場合もあるという事です。
そういう場合でも…
偶々、問題が無くて良かった場合もあれば、明らかにきちんと正しく考え抜いて命名されたと判断できるものがあります。
但し、常用漢字や人名用漢字を使っているから良いとは限りません。
つまり、常識を外れている命名は不当と見なされても仕方がないでしょう。
このへんになってくるとやはり、素人判断ではかなり難しくなるのではないかと思います。
要するに、常識的に考えてみても子どもの将来を念頭に置いてなかったり、
人の名前ではないような名づけをする事は、決して許されるものではないという事です。
何故、「命名」というものに “ 命 ” という漢字が使われているかをよく考えてみれば分かると思います。
命名という行為そのものが大変重要であるかが理解出来るのではないでしょうか。
【命名する上に於て、人間の子供は動物ではありません】
猫も杓子も…キラキラネーム?
もっともっと極端な諺を使えば・・・
「味噌も糞も一緒」??
この諺の意味は、
“ 清いものも汚れたものも同じに扱うこと ”
又…
“ 善悪・優劣の区別をしないこと ” と、辞書に載っています。
人間には人間に相応しい名付けをする必要があります。
『 格 』という表現は、“ 位 ” の事です。
そもそも、人と獣とは格が違うのです。
そうしてそれは本来なら、人は更に向上する事によって神の方へ近づいてゆくものであるにも拘らず、
堕落して獣のほうへ近づいてる人も少なくないのかも知れませんね。
それが・・・
命名と無関係とは言い切れないと思います。
人格があるからには、その根幹に霊格があります。
人の「心・言・行」がそれを形成していくように、
命名する上に於ても見えない部分を先ず重要視しなくてはいけない理由はここにあるのです。
これは名づけ作業上の留意点という事だけではなく全ての面に関しても言える事ではないでしょうか。
人間は余程しっかりしていないと、様々な良からぬ感化を受けがちです。動物からもしかりです。
「朱に交われば赤くなる」も、グレシャムの法則での「悪貨は良貨を駆逐する」も言い得て妙と心得るべきではないでしょうか。
やはり冒頭に述べたように・・・
「味噌も糞も一緒」では、どうかと思いますね。
【 良い名前が名付けられている人は、良い人生を送っているものです。】
名前が全てを創造していく「人生創造説」とまでは
言いませんが・・・
良い命名が、良い人生を送っていく大きな要因の一つとなるのは明らかです。
世の中には、様々な分野で活躍されてる方も相当の数おられる事だと思います。
その中の、芸能・経済・教育・文化・政治・・・等の方々に限るのではなく、
極一般の方の中でも本当に良い人生を送っておられる人がいます。
やはりその方々の名前は、完璧に近いくらいの良い名前が名づけられているのです。
家庭環境や諸事情により、子供の頃は名前の作用というものがそこまで顕著に表れるとは一概に言い切れ無い場合もありますが、
どんな名付けをされたかによって、ある程度の人生ベクトルが定まっていきます。
こればっかりは自分で命名する訳ではないので本人がチョイスした運命とは言い難いでしょう。
しかも普通・・・
赤ちゃんや少年・少女期までは、まず仕事はしていません。
でも… 成長し、仕事をするようになってからは自身の名前というものの影響が更に著しく生じてきます。
所謂、不純な動機で名づけられていた…“ キラキラネーム ” だったとしたら・・・
それこそ取り返しのつかない事になりかねません。
ただ・・・
逆に、普通の極ありふれた名前だった人が自身の仕事や職業に見合った名前に改名するのは、大いに奨励致します。
特に、芸能人やスポーツ選手、専門職に従事する人には、良い改名をする事をお薦め致します。
但し、正しく改名しないと本も子もない結果に陥ってしまいますので、充分注意が必要です。
【 命名・改名は何故注意が必要なのか…!? これも言っておきましょう。】
先ず結論から申し上げましょう。
キラキラネームに限らず、良くない名前は事件・事故・災害等の災厄に巻き込まれるケースが非常に高くなります。
良くない名づけは、良くない事が起こりがちになります。
良い名付けは、良い出来事を運びます。出来事だけではなく良い出会いが生まれます。
ご参考までに、芸能関係の方を例にとってご説明してみましょう。
俳優でもありシンガーソングライターでもある、「加山 雄三(かやま ゆうぞう)」さん。
この方の本名は、池端 直亮(いけはた なおあき)というお名前です。
名付け専門家としての私の姓名判断で言いますと・・・
本名の「池端 直亮」という名前は、可もなく不可もないというところです。
ですが、この芸名(俳優名)の「加山雄三」という名前が実にいいのです。言うことなしの良い名付けなのです。
この名前は母方の祖母さんが専門家に命名依頼をして付けてもらったとの事です。
ところが…
このままこの名前だけで行けば順風満帆で大変良かったものを、
加山氏本人ご自身の考えで、詞・曲作りのライターとしてのペンネームを
「弾 厚作(だん こうさく)」という名付けで活動したのです。これがいけない。
素人判断での理解は難しいと思いますが…この名前は、最悪の凶名です。
これを使用していくと、直ぐに作用しなくとも、溜まりに溜まっていつか災難を呼び寄せてしまう名前なのです。
名づけに関する際、特に人名を素人が命名する場合は余程氣を付けて行わないと、
取り返しのつかない結果を招く恐れがある事を警鐘する為に、こういった事例をあげさせて頂きました。
【人の名前にキラキラネームを命名するのが考えものだという事】
名付け専門家としての私の見解を述べてみれば・・・
赤ちゃんの名前にキラキラネームを名づけるのは、通常極めて危険なので避けたほうが良いという事です。
歌舞伎役者の襲名とかの芸能関係等で家系の定めとしてそういった命名を名乗っていく場合は別として、
生まれてきた子供には、その子どもに見合った生き方や大人になって従事していく仕事があるにも拘らず、
親の一方的な考えでそのような名づけをしてしまうのは良くありません。
人間の名前は、物の名前や社名・店名・施設等の名前、サービスの名称とは全く異なる捉え方で判断する必要があります。
但し、親御さんが異国の間に生まれたハーフの子供の場合は、充分考慮を重ねた上で
キラキラネーム的な命名でも止むを得ない場合もあったり、寧ろそういう名前のほうが良い場合もあったりします。
つまり実際の現状ありのままの事情に照らし合わせての判断に熟慮を要するのです。
日本語の姓とカタカナの名の混合でも、差し支えはないのです。
特にカタカナ英語とか造語は人名以外のネーミングには何の問題もないですし、キラキラでなくても、芸能人の名前やバンド名・お笑いのコンビ名、その他お相撲さん(関取)の四股名だったり、特殊のスポーツに携わる人の命名は、コンセプトやそれ相応のネーミングが大切ですし、それがベストなのです。
また、商品名等独自のブランディングにもかえって最適な場合も多々あるので大いに工夫されて構いません。
とにかく愛情を持って判断し、適性に命名して頂きたいのが人の名前です。
特に赤ちゃんの名付けに対してのキラキラネームは、本当に熟慮断行を望むところだという事です。
話しは少し変わりますが…
東京の田町~品川駅間のJR山手線、新駅名が「高輪ゲートウェイ」に決まったようですが・・・
未だに賛否両論飛び交っていますね。しかもネット上では否定的な意見がかなり目立っています。
キラキラネーム風なのが問題なのか、呼び名が長すぎることがチェック対象になっているのかどうかは
分からないところですが…命名上の画数的から言うと・・・
「高輪ゲートウェイ」は「「高輪ゲートウェー」のほうがいいのではないかと思います。
【 当方での「 良い “ 名前 ”」の定義 】
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命名の無料サイトの問題点と対処法
【命名は、唯物的解釈だけではいけない】
最近の世の中、何でも彼でも無料(タダ)での体験があったり、無料での物品の提供・サービス等が出てきていたりしていますが・・・命名についても、例外ではなくなってきているようです。殆どの事柄が、始めの第一歩の取っ掛りとしてそういう方法でお客様を誘うやり方なのでしょうが… 良い部分もある反面、どうなのか?と思うところが多々感じられますね。特に名付けを考えていく場合には、人一倍注意しなくてはいけない重要な箇所がたくさんあります。私どものこのサイトでも再三申し上げていますように、唯物的解釈だけで判断していくのは非常に無理な面がありますし、まかり間違えば危険が伴ってしまう恐れがあります。名づけというものは、しっかりと正しく行えば、微動だもしない強靭な存在となり得るのは間違いありませんが、一歩間違えば大変デリケートな存在なので崩壊のやむなきに至るのは否み得ません。と、言いますのも良かれと思って名付けたつもりが…良からぬ不幸や災難を呼び寄せてしまったという実例が数多くあるのです。命名に至っていくまでには、エントロピーの増大に繋がっていかないように細心の注意を払っていく必要があります。名前の成り立ちというものには先に述べたごとく唯物的解釈以上に唯心的解釈を要するのは言うまでもありません。勿論、表裏一体と言いますように両輪のバランスの良い充実が必要不可欠なのは当然です。但し、唯心的解釈と唯物的解釈のどちらが主でどちらが従かと申しますとやはり先ず大切な部分の主たるものは、唯心的解釈なのです。
【「大事なものは目に見えない」は、名付けにも言える事】
実は・・・「運命」というものは自由につくられるのですよ。宿命は、生まれながらに決まったものですが…運命のほうは、人間次第でどうにでもなるものなのです。人が自分自身のアイデンティティーをどれだけ認識出来ているかという事を知る根拠は、人それぞれに違いがあるでしょう。それはやはり人が、本当に自分らしく活躍できているか否かということ。そしてそれは、人それぞれが持つポテンシャル(潜在する能力・可能性としての力)が充分に活かされているか否か!?という事になってくるのです。間違いありません。その運命を自由につくる手段の一つに、「命名」があります。つまり…その人に見合った名前であるかどうかという事自体が大変重要であり、その名前そのものの持つ力が、その人の運命に大きく作用するという訳なのです。良い名前であれば、それ程に力を発揮するものなのです。即ち、本当に正しい命名であるのかどうかが問われてくるのです。では、命名(名付け)の際に最も重要な事(要素)とは何でしょう。通常、名付け(命名)の際に一番重要視されるのは字画数ではないかと思っている人が多いと思います。確かに画数も大切な要素ではありますが、実はもっと大切にしなければいけない要素があります。童話:星の王子さま(サン・テグジュペリ作)でも有名な言葉がありますよね。『大事なものは目に見えない。』名付けにおいても例外ではないのです。では、命名(名づけ)においての「目には見えない大事なもの」とは一体何か・・・?それは…『想念(そうねん)』・そして『言霊(ことたま)』です。
【名づけに於ける順番は、「想念→言霊→文字」】
普段、私たちが目にする文字は、いわゆる目に見えるものです。文字=(イコール)有形です。その目に見える文字として現れるまでには、先ずは目に見えない想念の世界で名前の種?のようなものが誕生します。その見えない、良い想念は…やがて良い言霊(ことたま)を作り出し…そしてやっと、この目に見える世界での良い文字となって表されるのです。更に言ってしまえば・・・その良い名前たるにはやはり信頼おける力量(智慧と力)を有する命名のプロに委ねるのが賢明だということになるとも思います。逆に言えば・・・素人判断で、勝手に良いと思い込んで名付けたつもりが、知らず知らず悪い想念、若しくは悪い言霊を使ってしまっているという場合があったりします。それも更に、見えている文字の部分だけで捉えてみて良い文字だったとしても、その前の段階が相応しくなかったりするのもよくある例なのです。やはり…素人感覚では、どうしても大事な部分を見逃しがちです。“ 後悔先に立たず ” にならないように専門家にご相談してみては如何でしょうか。
私は、名付け(命名)において、見えない世界と見える世界の両輪を鑑み先ずこの「想念界(想念)」から「言霊界(言霊)」、そして「現象界(文字)」へと表現されていく過程を正しく理解し、その法則のようなものに従って命名をさせてもらっています。世間で名付け(命名)の際に重要視される画数は、想念から言霊を経過し、やっと文字としての目に見える段階で認識され重要視されるものです。ですから画数は大事だけれど、それ以前に大事にしなければいけない大切な要素があるという事を忘れないで下さい。
【命名に至る解釈の仕方は唯心的と唯物的の両輪で】
人は物事を判断する時に、片寄った判断をする事がよくあると思います。一方に偏した考え方だと結局はどうもスムーズに事が運んで行きません。一般に・・・命名の場合に限らず、物事の解釈の仕方には唯心的解釈と唯物的解釈との二通りがありますが、全ての場合においてこの片方だけの解釈では完璧ではないのです。どちらも大切であって、主となる唯心的解釈と従となる唯物的解釈の両方が一致した解釈をもってすると、全ての成り立ちというものが理解出来るようになります。昔から中庸とか中道とかいう事も、その意味を言い表しているのに他ならないのではないかと思います。この世は…万有一切(森羅万象)が、見えない世界「霊(れい)」と見えている世界「体(たい)」とで成り立っています。そしてそれは間違いなく、この世の構成自体が、『 神界→仏界→現界 』(信じようが信じまいが…)という具合に構成されているのと同様の理なのです。つまり名前も同様に…見えない世界の、想念界(そうねんかい)から言霊界(げんれいかい)に移写され、そして…見えている世界の現象界(げんしょうかい)へと移写され、身近な存在としての文字という形で誕生するのです。『 想念界→言霊界→現象界 』という事になります。この順番、この過程が大変重要なのです。霊体一致の原理です。つまり・・・「想念界と言霊界」の想念(そうねん)・言霊(ことたま)が「霊(れい)」であり、「現象界」の文字の画数が「体(たい)」の部分になるのです。この天地自然の摂理に則って命名を行う事が、全ての御心に適う『言祝(ことほぎ)の名前』の所以となる訳です。
【命名依頼・姓名判断・名付け・改名の更なる「幸せナビゲーター」として】
普通人は誰もが、更なる幸せを望んでいます。基本的に「幸せ」とは、“ 病・貧・争 ” のない “ 健・富・和 ” の状態です。私は、名刺の小見出しに[幸せナビゲーター]と記しているのですが…ダテに書いているのでは、ありません。根拠があるからです。大局的見地から述べますと…大宇宙のベクトルは、完全なる『 真・善・美 』へと繋がる路を進んでいます。ですから・・・人もそこに歩調を合わせ、その進路通りに歩んでいくのが最も賢明な生き方なのです。にも拘らず…中々儘ならないのが世の常ですよね。そこで、その本道へと繋がる正しい入り口の一つとして当方の命名のやり方があるという事をご理解頂けたら、有り難いと思います。キリストさんの聖書の冒頭の文言に「始めにコトバあり万物これによって造らる」と、あります。要するに姓名の言葉・文字・想念は、その人の運命に大いに影響するのです。正に、「姓名」は「生命」なのです。人が名前を呼んでも言霊(ことたま)が働き、また思っても働きます。それが運命に大いに影響を与えるのです。場合によっては…名前次第で、人間の幸・不幸が決まってしまう!…と言っても過言ではありません。それくらい名前とは非常に重要なものなのです。即ち、結論をはっきり言ってしまえば…正しい想念、正しい言霊が・・・“ カギ ” を握っているのです。では、正しい良い想念とは・・・一言で表現するならば… 『 利他的観念 』です。※ 反対の悪に属する想念をお伝えします。「不平・憎み・呪い・妬み・個人的怒り・偽り・復讐心」です。言霊で言えば…悪に属する想念から出た、不平不満・非難攻撃・怒号・罵声咎め・愚痴などの言葉は自分で自分の首を絞めるようなもの。こういう言葉を使う事は、決して幸せの道へとは繋がりません。命名に限らず・・・私達の日頃の「心・言・行」には、充分注意する必要があるのではないかと思います。そうして・・・冒頭のタイトルの事を結論から申し上げれば…お金儲けの為に、無料にするというその想念そのものがどうなんだろう?という、そんな氣がしてならないのが私の心からの素直な氣持ちです。
【 当方での「 良い “ 名前 ”」の定義 】
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『 命名の匠 』から導かれた、
「 寿・言祝 ( ことほぎ )の “ 名前 ” 」ならばご本人は勿論、
周りの方々にも幸せの光が放たれることでしょう。
これは、どのネーミングにも共通して言えることです。
◎参考詳細:名付けに際し『開運盛名』をお探しの方へ
→ http://www.meimeishi.jp/contents/meimeishi/#entry-27
名付け、改名、店名、商品名、ビジネス名等々の命名依頼は…
命名の匠 命名士 高橋 呂侑
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我が人生紀行。「幼少の頃 ⑤」その2
私の兄弟は長女を含め、人一倍 “ 我 ” が強かったように思います。
ま…
長崎という土地柄自体がその傾向が強かったですね。
「 指図する人ばかり多いため統一がとれず、
かえってとんでもない方に物事が進んでゆくことにいう・・・
『 船頭多くして船 山に上る 』!!」
正に…それ!です。(笑)
命名に関しての我が強く出過ぎる場合の説明は、
凄く重要な部分がありますので、
それは又次回の話でお伝えしようと思います。
それで、我の強い高橋家兄弟の話に戻りますが、
その我の強さは…
別の面から見たら、
男達兄弟にとっていい刺激を与え合い、
良い方向へ仕向けてくれたのかも知れません。
その最たる存在が、
一番上の長女でした。
長女は、
前にお伝えした長崎のグラバー邸がある南山手町で生まれ育ち、
東京に上京し一花咲かせた、今で言う “ キャリアウーマン ” の走りです。
彼女は、猛勉強をして数ヶ国語を話せるようになります。
しかも何と!
アメリカ合衆国・第40代レーガン大統領との対談をも実現させました。
弟の私が言うのもアレですが、
とても逞しいパワーのある女性でした。
レーガン大統領と握手をしている真ん中の女性が長女です。
【 当方での「 良い “ 名前 ”」の定義 】
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『 命名の匠 』から導かれた、
「 寿・言祝 ( ことほぎ )の “ 名前 ” 」ならばご本人は勿論、
周りの方々にも幸せの光が放たれることでしょう。
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我が人生紀行。「幼少の頃 ④」その2
兄弟6人の構成は、
一番上が長女。
あとの5人は全員男です。
実は・・・
家族構成が複雑なんです。
私の母は、父の3番めの嫁さんなんです。
あ…
だからと言って、
お妾さん・御手掛けさんという事ではありません。
最初の嫁さんとは、離婚。
二人めは、亡くなって・・・
そして私の母が3番め。
6人兄弟のうち、私の母が産んだのは5番めの兄と私ですが
そのことを知ったのは、大学生になってからでした。
それまでに感じていた家族間の何とも言えない微妙な雰囲気の理由が
その時に解ったという訳です。
話は変わります・・・。
「輪廻転生」という言葉の事を理解できる方には
伝わるのではないかと思うのですが…
どうも、私は何度も何度も輪廻転生を
繰り返してきたのではないかと思っています。
私の小学1年生の夏の絵日記には、
「僕は、ビールが大好きです。」と書いてあったりします。
とても6歳とは思えません。
ただし、その頃に好きだったのは、ビールの泡ですが。。。(笑)
この絵日記の事は笑い話ですが、
とにかく自分でも魂の古さというか、現世での経験以外での
知識みたいなものを持っているように感じているのです。
それが・・・
現在の命名・名付けをする際に大いに役立っているように思います。
【 当方での「 良い “ 名前 ”」の定義 】
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『 命名の匠 』から導かれた、
「 寿・言祝 ( ことほぎ )の “ 名前 ” 」ならばご本人は勿論、
周りの方々にも幸せの光が放たれることでしょう。
これは、どのネーミングにも共通して言えることです。
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名付け、改名、店名、商品名、ビジネス名等々の命名依頼は…
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我が人生紀行。「幼少の頃 ③」その2
私の父は、
明治生まれの寡黙な男でした。
当然、子供の躾はとても厳しいものがありました。
父の職業は当時で言う、師範学校の教師です。
学校の先生、その先生という存在の人を教える更なる先生でしたので
ある意味、恐怖さえ感じさせるものがありました。
実は・・・
その父が、生徒さんである親御さん達から「命名依頼」を受けていました。
私はその光景を目の当たりにしていたのです。
私の家で、姓名判断や命名に関する書物をよく目にしたものです。
そして・・・
私が病氣した事によって、
父の命名に関する考察が益々熱を増したような記憶があります。
【 当方での「 良い “ 名前 ”」の定義 】
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『 命名の匠 』から導かれた、
「 寿・言祝 ( ことほぎ )の “ 名前 ” 」ならばご本人は勿論、
周りの方々にも幸せの光が放たれることでしょう。
これは、どのネーミングにも共通して言えることです。
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我が人生紀行。「幼少の頃 ②」その2
負けん氣・・・No. 1だった私は、
明治生まれの父と大正生まれの母との間に産まれた子供です。
もう既に両親共に他界していますが…。
何か普通の家庭とは違う…
妙な雰囲氣の中で育っていくのですが、
その答えが分かるのはず〜っと後の事でした。
小学一年生になって少し経ったくらいの頃だったでしょうか、
私は大病を患ってしまいました。
なんと、そこから2年間寝た切り状態になってしまったのです。
ベッドの上で全く身動きが出来ないまま、遊びたいし運動もしたいのに
どうすることも出来ない。
負けん氣小僧は、周り全員が敵に見えて毎日毎日母親に八つ当たりばかりを
していました。
いつの頃からは定かではないのですが・・・
私は元来、
自分の事も含め、物事を客観的に見てしまう傾向が強かったように思います。
それが「病氣」という体験を通して、日に日に更に増していきました。
「生」や「死」、物事の「ある」・「ない」を哲学的に捉え、真剣に考えていく
ようになったのです。
本当にマセ眩れた、変なガキでした。(笑)
【 当方での「 良い “ 名前 ”」の定義 】
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『 命名の匠 』から導かれた、
「 寿・言祝 ( ことほぎ )の “ 名前 ” 」ならばご本人は勿論、
周りの方々にも幸せの光が放たれることでしょう。
これは、どのネーミングにも共通して言えることです。
◎参考詳細:名付けに際し『開運盛名』をお探しの方へ
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我が人生紀行。「幼少の頃 ①」その2
私が産まれる前の高橋家の住まいは・・・
長崎で有名な、彼のグラバー邸がある南山手町にありました。
ひょっとしたら、私のご先祖様はグラバーさんと顔見知りだったかもしれません。
そこから引っ越しをした先が出来大工町です。
その出来大工町には、福澤諭吉が使用したと伝わる井戸がありました。
しかも私の家のすぐ斜め前です。
※参考:http://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/rekisi/index.html
「出来大工」という町の名前は、1672年(寛文12年)に名付けられて以来、
およそ300年間、一切町名の変更は行われていないようです。
名前の由来は1663年(寛文3年)の大火後の町割りによって、
分割・出来きた大工町として出来大工の町名が名付けられたという事です。
皆さんご存知のグラバーさんや福沢さんの名前が出てきましたが、
高橋家一族は、どうも有名人の追っかけをしていたんじゃないのでしょうか・・・?(笑)
…って話はこれくらいにして、
5歳までの私は自分で言うのも可笑しいですが…
とにかく運動神経が抜群でした。(笑)
小学一年生になって直ぐの頃、「かけっこ」で4年生に勝った記憶があります。
とにかく負けん氣が人一倍強かったのを覚えています。
6人兄弟の末っ子だったせいもあり、上の兄弟に負けたくない!という
想いが強かったようです。
「負けるもんか!」「負けてたまるか!」といった強氣な性分の子供でした。
いま振り返って考えてみると、この強氣な性分が身体にも影響を与えていたのかも
知れないなぁ、と思ったりしています。
それと、何だか変な家庭環境だなぁ…という想いと。。。
【 当方での「 良い “ 名前 ”」の定義 】
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「 寿・言祝 ( ことほぎ )の “ 名前 ” 」ならばご本人は勿論、
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我が人生紀行。「連載風に綴ります」その1
私が生まれたのは、九州は長崎市内の出来大工町。
上背後には長崎の産土神、諏訪神社があります。
当神社は、荘厳な御神輿と国際色豊かな奉納踊りにより日本三大祭りと称される、
秋季大祭の「長崎くんち」が開催される事でも有名です。
この「長崎くんち」での奉納踊は国指定重要無形民俗文化財に指定されていて
毎年、多くの観光客や地元の人達で賑わうお祭りになっています。
そこで出生した私は、
幼少の頃から、小学校・中学校・高校とその鎮守様に
守られながら遊びと勉学に励んで参りました。
あ、因みに・・・
私は1月18日生まれで『観音様』の日に産まれています。
しかも、1月なので初観音です。
私の今までの人生を振り返ってみれば…
紛れもなく、“ 観音様 ” の御守護で生かされてきたと言っても過言ではないような氣が致します。
そんな私の、
名付け専門家としての「命名」を生業とするに至った道のりを様々なエピソードをま交えてお伝えしていこうと思います。
生い立ちからの人生これまでの、道すがら道中記を連載風に綴っていきたいと思っています。
どうぞ、お付き合い下さいませ。
【 当方での「 良い “ 名前 ”」の定義 】
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「 寿・言祝 ( ことほぎ )の “ 名前 ” 」ならばご本人は勿論、
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これは、どのネーミングにも共通して言えることです。
◎参考詳細:名付けに際し『開運盛名』をお探しの方へ
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